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最高裁判所大法廷 昭和25年(さ)40号 判決

主文

本件非常上告を棄却する。

理由

本件非常上告趣意について。

非常上告は、法令の適用の誤りを正し、もって、法令の解釈適用の統一を目的とするものであって、個々の事件における事実認定の誤りを是正して被告人を救済することを目的とするものではない。されば、実体法たると手続法たるとを問わず、その法令の解釈に誤りがあるというのでなく、単にその法令適用の前提事実の誤りのため当然法令違反の結果を来す場合のごときは、法令の解釈適用を統一する目的に少しも役立たないから、刑訴四五四条にいわゆる「事件の審判が法令に違反したこと」に当らないと解するのを相当とする。そして、本件では、本案事件の公訴提起当時においては勿論その第一審判決当時においても、被告人の年齢が二〇歳以上であると認定されていたことは記録上明白なのであるから、たとえ、その判決後になって被告人が実際は少年であったことが判明したとしても検察官が公訴提起前あらかじめ事件を家庭裁判所に送致する手続を執らなかったのを目して、公訴提起の手続規定の解釈を誤りその結果その手続規定に違反したとはいえないし、また、第一審裁判所が公訴提起手続違反を理由として公訴棄却の判決をしないで被告人を懲役一年但し三年間その刑の執行を猶予する旨の判決を言渡したのを、まさしくその審判法令に違反した場合に当るものということはできない。それ故、本件非常上告は採ることができない。

よって、刑訴四五七条に従い、主文のとおり判決する。

この判決は裁判官真野毅の反対意見を除く他の裁判官全員一致の意見によるものである。

本件に対する裁判官真野毅の反対意見は次のとおりである。

非常上告は、「判決が確定した後、その事件の審判が法令に違反したことを発見したとき」になされるものである(刑訴四五四条、旧刑訴五一六条)。そこで、非常上告における法令違反の意義について、すこしく考えてみたい。それは、旧刑訴法において一般に上告理由とされていた「法令ノ違反」と同じ意義を有するものと解すべきである(旧刑訴四〇九条)。そして、この法令違反には、(一)訴訟手続が法令に違反する場合(刑訴四五八条二号、三七七条、三七八条、三七九条)と(二)判決が法令に違反する場合(刑訴四五八条一号)、例えば判決における法令の適用に誤がある場合(刑訴三八〇条)がある。ところで、(イ)実体法適用の対象となるべき実体的事実の認定は、訴訟の実体形成の最終の段階においてなされるものであって、それが適法な訴訟手続に従ってなされる限り、結局は裁判所の自由裁量に委されているものであるから、たとい誤って客観的真実に反する事実認定がなされたとしても、そしてその真実に反する認定事実に対しこれに適応する実体法が適用されたとしても、その事実認定ないし法令適用のどこにも法令違反のかどはない(ただ事実認定がいわゆる実験則に反する場合には、法則違背として法令違反となるだけである)。従ってこれに対して非常上告は許されないわけであり(ただ特殊の例外的の場合には再審の道が許されている)、また刑訴応急措置法以来かかる事実誤認は適法な上告理由として認められていないのである。これに反し、(ロ)裁判所の管轄、公訴の受理及び訴訟手続に関する事実は、必ずしも訴訟の実体形成の最終の段階において裁判所の自由裁量によって認定されるというものではなくして、訴訟手続の発展進行する過程のまにまに随時随処において裁判所の認識に触れるものである。そして裁判所は、これらの事実の認識を前提として、適宜に訴訟手続の進行を按配することとなる。しかし、その事実の認識は、飽くまで客観的真実に合致することが要請されており、もし誤って客観的真実に反する場合においては、これを前提としてなされる訴訟手続は、当然法令違反となることは明らかである(刑訴三七七条ないし三七九条)。旧刑事訴訟法時代においては、これらは法令違反として上告理由と認められていた(旧刑訴四〇九条、四一〇条)のみならず、「上告裁判所ハ裁判所ノ管轄、公訴ノ受理及訴訟手続……ニ関シテハ事実ノ取調ヲ為スコトヲ得」(旧刑訴四三五条一項)と定められ、さらにこの規定は非常上告について準用されていたのである(旧刑訴五二二条)。新刑訴四六〇条二項は、直接の明文をもって「裁判所は、裁判所の管轄、公訴の受理及び訴訟手続に関しては、事実の取調をすることができる」と規定している。

さて、本件において検挙当時被告人は、年齢を二二年と称していたので、検察官はこの点につき何等の取調をなさず成人として立川簡易裁判所に公訴を提起し、同裁判所はこれまた被告人の年齢につき精細の取調をなさず成人として有罪判決を言渡し、同判決は確定した。然るに記録中の検察官提出にかかる町役場から警察署宛の身上調回答書によれば、被告人は公訴提起当時は未だ十八年に満たない少年であったことが明らかである。従って、検察官は、起訴するに当っては、少年法四二条の定めるところにより、事件を一応家庭裁判所に送致すべきであったにかかわらず、直ちに公訴を提起したのは、公訴提起の手続に違反したものである。立川簡易裁判所は、被告人の少年である事実の認識を誤り、従ってまた適法な公訴提起がない事実の認識を誤り、本来は刑訴三三八条四号により公訴棄却の判決をなすべきであったにかかわらず、形式的訴訟条件の欠けたまま事件を審理し有罪の実体判決を言渡したのは、法令に違反するものであるから、本件非常上告は適法であり且つ理由があり、原判決及び訴訟手続は破棄さるべきものであると信ずる。(そして本件では形式的訴訟条件の不備を看過して実体的判決が言渡された法令違反はあるけれども、原判決が実体的に不利益であるかどうかは明らかでないから、被告事件について更に判決をする必要はないと思う。)

最後に、少しく多数意見の誤りを指摘したい。非常上告は、一般に知られているとおりフランスにおける「法律における利益のための上告」の流れを汲むものであって、確定判決を経た事件における判決又は訴訟手続の法令違反を正すことを目的とする制度である(刑訴四五四条、四五八条)。すなわち、訴訟における法令適用の正しい姿を明らかにし、将来に向って法令適用の統一をはかることを主眼とする制度である。元来法律を適用するには、多かれ少なかれ常に法律の解釈という作用が行われる。あるいは法文を字義どおりに解釈し、あるいは広く拡張して解釈し、あるいは狭く制限して解釈し、あるいは特殊の意義を付与して解釈することが法令適用の前提として当然伴っているわけである。それは、法律適用に当って法文の意義を説明し又は宣明すると否とを問わず、とにかく一定の意義に法文を解釈するのでなければ、到底合理的に法令を適用することはできないからである。されば、非常上告の目的は法令の解釈の統一、法令の解釈適用の統一又は法令の適用の統一をはかることであると説かれるが、表現に多少の差はあっても結局は法令の適用の統一をはかることが眼目である。狭義の解釈だけの統一をはかるものではない。そこで、多数意見は、『実体法たると手続法たるとを問わず、その法令の解釈に誤りがあるというのでなく、単にその法令適用の前提事実の誤りのため当然法令違反の結果を来す場合のごときは、法令の解釈適用を統一する目的に少しも役立たないから、刑訴四五四条にいわゆる「事件の審判が法令に違反したこと」に当らない』と言っているが、この説明の中には種々の誤りを含んでいるように思う。実体的事実の認定と訴訟手続に関する事実の認識という全く異質的なものを、同様に取り扱っているところに根本的な誤りがある。法令適用の前提である実体的事実の認定の誤りのため当然法令違反の結果を来すと見るところにも誤りがある。実体的事実の認定は、前にも述べたとおり結局は裁判所の自由裁量に委されているから、単なる事実の誤認及びこれを前提とする実体法の適用は、毫も法令違反を来すことはなく、従って非常上告の理由とはなり得ない性質のものである。これと異り、訴訟手続に関する事実の認識は、結局において事実裁判所の自由裁量に委されておらず、どこまでも客観的真実によらなければならないから、この前提事実の認識を誤れば当然訴訟手続が法令に違反することとなるわけである。それ故、この場合には非常上告は許さるべきものと言わなければならぬ。そもそも甲の訴訟法規を適用すべき場合に誤って乙の訴訟法規を適用するのは、甲の訴訟法規の存在を知らず又は忘れたためのこともあろうし、訴訟法規適用の前提である事実の認識を誤ったためのこともあろうし、また訴訟法規の解釈を誤ったためのこともあろう。各具体的の場合にその何れの原因によるかは必ずしも常に明確でないばかりではなく、何れの原因によるとしても法令適用上の誤りがあり法令違反が存するのであるから、これを是正して客観的事態に適応する法令適用の統一をはかる必要があり、これがために非常上告は許さるべきである。また現行法はこれを明文をもって許しているのである(刑訴四五四条、四五八条)。しかるに、多数意見のごとく法令の解釈を誤ったために審判の法令違反を生ずる場合に限定することは、ただに明文に反するのみならず、却って法令適用の統一という非常上告制度の目的にも背くものと言わねばならぬ。現に、刑訴四六〇条二項は、「裁判所は、裁判所の管轄、公訴の受理及び訴訟手続に関しては、事実の取調をすることができる」と定めている。非常上告において問題となるべき訴訟手続の法令違反が、多数意見のように法令の解釈に誤りがある場合に限られるとするならば、何もこんな規定は毛頭必要がなかったわけである。しかるに、かかる規定のあるのは、訴訟法適用の前提である訴訟手続に関する事実の認識が誤ったために生ずる訴訟手続の法令違反をも、非常上告の理由として認めているからこそ、かかる前提事実の真否につき法律審である最高裁判所においても事実調べができる旨を定める必要があったからである。多数意見は、この規定の存在を無視するに等しい誤りを冒しているように思われる。或は、同条二項にいう「事実の取調とは例えば公判請求書が適式なりや否や、真正に権限ある者によって作成されたりや否や、公判を公開したりや否や等手続そのものについての事実をいうのであって、被告人が幾歳であったかという様な前提事実を指すものではない」(判例集五巻一号八七頁)という見解を採る者があるが、わたくしはこれに同意することができない。公判請求書が適式である事実、真正に権限あるものによって作成された事実は、いわゆる形式的訴訟条件であって実体的審判の前提条件たる事実に外ならないではないか。また公判の公開は、訴訟手続そのものではなく訴訟の審理及び判決の言渡が適法に行われるための前提条件たる事実ではないか。これらは何れも、訴訟をいかに運ぶかについての訴訟手続の前提事実たる点においては、被告人が少年であるか成人であるかの事実と全く異るところはない。被告人が少年であるか成人であるかの事実は適法な公訴の提起があるか否かの事実として形式的訴訟条件を欠くか否かの問題に関連し、訴訟手続の前提たる事実である。それ故、「手続そのものについての事実」と手続の前提事実を区別する見解には賛同することができない。ましてや、法文は広く、裁判所の管轄、公訴の受理及び訴訟手続に関して事実の取調をすることを認めているのである。論者のごとく狭く「手続そのものについての事実」の取調に限定すべき理由は毫もないのである。

(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 長谷川太一郎 裁判官 沢田竹治郎 裁判官 井上 登 裁判官 栗山 茂 裁判官 真野 毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島 保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 谷村唯一郎)

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